自分の誕生日を聞かれたら、たいていの人は何月何日って答えられます。
自分の誕生日を知っているから。

と、思ってるけれど、本当はこれは自分の認識ではないですね。
オギャーと産まれたのが何月何日なんて、本当は知らないはず。

あなたの誕生日は何月何日だって言われて、それを覚えて知っているわけで、自分の誕生日は他人の認識によって知ってる。
そういうことを考えると、一体この認識は自分で獲得した認識なんだろうかって、常に疑いたくなりますが、面倒くさいので続きません。

情報が溢れています。
たまたま調べたいことがあってネット検索をすると、2チャンネルのスレッドに行き当たるときがある。
僕は好きじゃないので、あそこに入り浸ったり、頻繁にアクセスすることはないけれど、まあ、よくもこれだか知ったかぶりの人がいるもんだと、驚いてしまう。
知ったかぶりっていうのは、知らないんだけど知ってるつもりなわけで、誕生日の認識の話と一緒で、他人の認識を自分の認識だと勘違いしている。

弾いた事もないギターの音色についてグダグダ話して、挙げ句の果てに言い争い。暇なんだね。
ギターの音色は、いろいろな要素で決まるから、ちょっと弾いたぐらいじゃわからない。演奏が上手い人が機材の設定や演奏方法を工夫していい音を出してるのと、素人がちょっと楽器店で試奏したのを比べても意味がない。演奏の上手な人のギターの音色を聞いて、このギターはこういう音と思うのも、他人の認識ですね。他人の認識の上で、機材の設定や演奏方法が工夫されて出てくる音だから。

こういう「他人の認識を自分の認識だと思う」というのは、僕は消費の姿なんじゃないかと思う。

情報を消費してる。
何度か書いていることだけれど、他人の言説を引用してブログを書いて、他人の言説を自分の言説の一部に組み込んでる人ってけっこういるけれど、他人の認識を自分の認識と勘違いしているように見えることがある。

「あなたそれを見た事あるの?」「あなたはそれをやった事があるの?」

歴史認識なんていうのも、実際に見る事ができないこともあって、他人の認識のオンパレード。
消費の山ですから、ゴミもたくさん出ます。

情報を選ぶ力を情報リテラシーなんて呼ぶことがありますけど、他人の認識のオンパレードの中から本当のことを選ぶのはとても難しいし、ほとんどが他人の認識なので、そこから選ぶということの価値はほとんどないかもしれない。
限られた時間で何もかも実際に経験して自分の認識を獲得することはできないので、他人の認識を借りることはあるのは仕方ないとしても、他人の認識を借りているということを自覚することが、情報を選ぶ際には大事だと思う。

現代社会って情報も物も、大量消費社会です。ほとんどの人が毎日消費ばかり。生命線である食べ物すら自分で作らない。そういう生活になると、本能が活発に働く人なら別だけど、何か危機が訪れても自分の認識が持てないんじゃないかって、原発災害の時に思いました。
他人の認識で話してる人が実際にとても多い。自分の認識が持てないと、世の中で起きていることは、すべて他人事です。

テレビ、新聞、言論人。これらの言論商売人たちは、言論の消費を煽るわけです。それの乗っかって消費する。出てくるのはゴミばかりじゃないけれど、大量消費をすればゴミが増えます。
実際にやっている人の言葉ですら、「よく見せよう」とか「恥ずかしいから」とかで認識が歪んだりしますが、言論商売人たちの言葉よりはずっといい。

そんな実践者の言葉でも、これがまた、自分でやってみないと、本当の意味がわからないんですね。
やっぱり自分の認識は自分で獲得しないと、自分の認識とは呼べない。

小さなことですが、そんなことを痛感するギター作りの毎日。
些細なことばかりですけど、ああ、こういうことか、と認識を獲得する。

一昨日徹夜してしまったので、昨夜は作業をせずに早く寝ました。
今日は久しぶりに仕事帰りに飲むので、今日も何もできないかな。

このアングルで撮った写真が好きです。すごくカッコ良く見える。

だいぶ形になってきましたが、まだまだやることはたくさんある。

ペグ穴が、そんなはずはないんだけど、深さが足りないということが発覚したので少し掘る、ボディー表側にバインディングを貼る、フレットを打つ、トラスロッドカバーを作る、表板の厚みをもう少し落とす、ブリッジの最終的な成形をする、ネックを接合する、裏板を作って貼る、塗装する、などなど完成までにやることがたくさん。今度の土日には塗装の手前まで一気にできるといいな。塗装中の一号機を早く完成させないと塗装に入りたくないから、そっちも急がないといけない。塗装に入ると時間が空くから三号機に着手しようかな。

ほとんどすべての作業で、一見簡単そうでもやると難しいということを経験する。そんななかで「これはこういうもの」という自分の認識を少しづつ獲得すると同時に、自分があまりにも何も知らない、何もできないということを自覚する。

こんなことをやっていて思うんだけど、最終製品を買わないで作る、というのは自分の認識を獲得するのに良い方法なんじゃないかと。
スーパーで買ってこないで自分で育てると、同じ野菜でも認識することが違うのと同じです。