2月, 2012 のアーカイブ


日本では知っている人は少ないかもしれないけれど、世界を支配する仕組み(お金の仕組み)について理解している人は着実に増えています。知人の外国人の多くが知っているところを見ると、世界共通の認識というものがあるんだと思う。

「日銀がー、官僚がー、政治家がー」

毎日愚痴みたいなことを言ってる人がいますね。
愚痴ばかり言っているから「じゃあ、どうするんだよ?」って問われるわけです。この問は「お前は何をやってるんだ?」に置き換えることができます。だから「自分はこうしてる」って言えばいい。勉強ばかりしても具体的な行動(決断力と行動力)と明確な方向性(思想)がなければダメだっていうことぐらいは子供でもわかることです。
お金の仕組みは欲望の仕組みです。これは妬みの裏返し。
それが財を独り占めしてやろうという欲望として現れたもの。
紙幣は金の借用証として誕生し、(金を預けても取りにこない人が多いので、勝手に借用証を発行するという形で)借用証が一人歩きした。
財貨を金額に換算することで、この元手はほぼ0の借用証が価値となった。
財貨を交換するときに、交換の尺度として便利だから普及したわけです。こういう交換に便利な価値を「交換価値」と言います。
「なんでもお金で買える」という価値観は、この交換価値を絶対視したもので、これが現代の大きな問題の1つ。
交換価値に対するものに利用価値があります。
通常は利用価値を得るために交換価値を使います。米をお金で買うという行為です。
交換価値は「未来の利用価値」です。未来の価値なので予測するという行為が伴います。予測を駆使して未来の価値を算定するのが今の金融経済に根付いていますね。株価や為替の予測するということをやってます。
交換価値を主体とする経済は「欲望と予測」に基づいて回ります。賭博経済です。
この賭博をやめることが、お金の仕組みから離れる明確な方向性でなければならない。
方向性なので、いきなり全部を止めるという考え方をする必要はない。毎日毎週毎月少しづつ。一人が二人、二人が三人と広げればいい。
そうやって自分のできることに落とし込むのが大事です。だから「自分はこうしてる」って言えないとおかしいんです。
話題になっているTPP ですが、これは以前はグローバル化と言われていたものの一種です。
その手段は自由貿易、国際分業です。お金の仕組みの上にワン・ワールドを作るという方向性です。
この流れは、発展途上国や未開の部族まで、行き渡るまで止まらない「発散」方向の考え方です。
お金の仕組みが支配するのであるから、文化、宗教、政治などはおかまいなしに広がっていきます。
そうしてできあがるワン・ワールドはお金の仕組みのルールを作った人が、その他の人から財貨を取り上げる社会ですから、搾取されたくなかったらそれと戦わないといけません。
スーパーで売っている納豆もこの自由貿易や国際分業という手法を使って作られます。
日本は大豆の9割ほどが輸入です。アメリカ、アルゼンチン、ブラジルあたりからの輸入が多いと記憶しています。
アメリカで7割、アルゼンチンに関してはほぼ全部が遺伝子組み換え大豆だそうですから、日本で流通する大豆の6割以上が遺伝子組み換えだとも言われています。
大豆はそれらの国で大規模に栽培されます。
大規模農業では必ず森林破壊や農薬の使用が伴います。(環境破壊と健康被害への懸念)
農薬を作るのに、あるいは農業機械を動かすのに、大量の石油が使われますが、この石油は石油メジャーやOPECなどによって流通量や価格を統制されています。 (資源の独占)
栽培され収穫された大豆は船によって納豆生産国に運ばれます。(石油の使用)
陸揚げされた大豆は納豆メーカーの工場に運ばれます。(石油の使用)
納豆のパッケージメーカーが容器を作る納豆メーカーの工場に運びます。(難資源化のゴミが増える懸念と石油の使用)
納豆という商品がトラックで問屋やスーパーに運ばれます。(石油の使用)
ざっとこんな感じです。
身の回りにあるものを見ると、こんな流れでできている商品が多いことに気づきます。
作物を作る環境を破壊し、健康被害を気にしながら、独占される石油を大量に使って、資源化できないゴミを大量に作る。
お金の仕組みのルールを作った人たちは、石油を独占していますから、石油を大量に使うことはワン・ワールドを作るのを後押しします。
主に財を得るのはこの人たちですが、これにコバンザメのように張り付く人たちもいます。
工場を稼働させる、船や車を動かす、港を使う、関税、店舗を開くなど、いたるところに許認可があります。
許認可を牛耳ることで利権を得る、利権を得るために許認可やそれに関する法律に手を加える。
こういう人たちはお調子者なので、誰が主人だって構わない。主人が誰であっても、許認可の網を張って手数料や税金という形で吸い上げる。そうやって財貨を独り占めしようとする人が巻き上げるもののおこぼれをもらうわけです。
彼らは財を巻き上げられる側が絶滅したら生きられないことを知っているので、死なない程度に巻き上げます。
環境破壊
健康被害
資源の独占
再資源化できない廃棄物
許認可による利権
納豆だけでもこれくらいの問題点が抽出できます。
再資源化できないものは買わない。買わなければ作らない。
許認可の数を減らす。生産と消費を近づける。
そういことができて初めて、お金の仕組みと戦えます。
お金の仕組みに注目して、お金の仕組みを変えれば良いと考える人がいますが、それはきっと続きません。
「日銀がー」と言う前にやることはあるでしょ?
ちなみに僕は「市民の農民化と職人化」という考え方が良いと思ってやってます。
愚痴を言ってる暇はありません。

別に暇なわけでもないんですけど、いろいろ考えたくなります。

練習のために作った2号機(現在塗装中)でいろいろ勉強になって、途中で音をチェックした限りではあまり良い音がしないので、これは悔しいということで、もう少し同形のギターを作ってみて、ついでいろいろトライしてみようと考えています。

いくつかの構造を検討して製図を書いてみました。

1.スチール弦のアコースティックタイプ。

ネックの仕込み角は1度にして、オーソドックスなアコースティックギターの構造です。サウンドホールは比較のために2号機と同じにします。

2.セミフォロー構造のスチール弦のアコースティックタイプ。

Godinのエレアコがこんな構造です。サウンドホールはfホールにしていますが、エレアコにしてサウンドホール無しにするかもしれません。

3.ナイロン弦のクラシックギタータイプ

サウンドホールは比較のために2号機と同じ形にします。1のアコースティックと比べるとネックの仕込み角とブレーシングが違います。こちらはファンブレーシング。ネックの接合方法はスペイン式にしようと思います。
他のタイプはネック幅をナットの位置で42〜43ミリにして本家PRS Custom 22の寸法と同じにしますが、このギターだけは50ミリ弱の幅にします。指板のRも半径400ミリくらいにします。(他は半径300ミリ)

4.スチール弦のアコースティックタイプでfホール

1のアコースティックとあまり変わりません。作る意味はないかもしれません。

5.セミアコースティックタイプ

Custom 22のスタイルのままGibson ES-335と同じような構造のギターです。トップとバックをアーチ状にするのでアーチトップギター作りの練習用になりそうです。

1〜4までのアコースティックタイプのギターには、エレアコ用のピックアップやギターシンセサイザー用のピックアップを装着することになります。

好きなギターの形で好きな構造のギターを作る。
自由で楽しいです。自分で作る醍醐味じゃないかなと思います。
例えいい音が出なくても、出た方が嬉しいけれど、いろいろな加工方法をやってみるのが楽しいです。

構造、材質、塗装、取り付けるパーツなどなど、組み合わせは膨大ですから、ハマると大変なことになりそうです。
少しづつしか加工技術も身に付かないので、ここまでできたら終わりという状態には永遠になりそうもないです。
飽きてしまう時がくるかもしれませんが。

戦中戦後はスパイがたくさんいたんでしょうね。

相変わらずぱっとしない自称保守政党の自民党。1つ前の記事に関連したことを書いています。
集票効果を狙って安倍さんを担ぎ出そうかなんていう動きがあるようですが・・・

岸信介はアメリカのスパイ。吉田茂はイギリスのスパイ。

お孫さんは安倍晋三さんと麻生太郎さん。

普通の感覚ならちょっと遠慮しときたいと思う人物です。

よく「麻生太郎の功績」みたいなことをブログに書いたりする人がいますが、功績でもないものを無理やり功績だとして書いてる部分もあって、一種の宗教じみたところがある。病的ですらある。

戦後GHQによって国会は作られました。最初の総理大臣は吉田茂。
GHQの出先機関である国会で、民意などおかまいなしに、GHQが選挙介入と情報統制をして選出された国会議員。そうやって始まった戦後日本です。いかがわしい戦後の始まりです。それはまだ終わってない。忘れただけで終わってないです。

戦後レジュームからの脱却という言葉が空しく響きます。

エルビスプレスリー、マリリンモンロー、ビートルズ、低俗な映画や文化。そして気がついたら周りには横文字がいっぱい。
良いか悪いかは置いておいて、あらゆる分野で洗脳が進む。洗脳されていることに気がつかないから洗脳と言えるんです。「あなたは洗脳されてる」なんて言われて怒る暇があったら、洗脳されているかもしれないって考えた方がいい。

体におかしなところがあると考え方や心にも歪みが出ますね。
飽くまでも僕が知っている範囲に限定した話なので、もしかすると違うかもしれませんが、それは追々検証していくとして、アトピーだとか不妊症だとか言ってる人はおかしな人ばかり。怒りっぽいんですよ。ほとんどそうです。
怒ると血液が酸性に傾くそうなので、もっと体のイオンバランスが崩れて、さらに怒りっぽくなるでしょう。一日中、ツイッターとかで怒ってる人は気違いに違いないです。

学生時代に椎間板ヘルニアになり、それをなんとか治そうとして食事療法に辿り着いたという話はだいぶ前に書いたことがあります。
いくつかポイントがあって、1)生まれ育った地域で採れたものを食べる、2)季節のものを食べる、3)精製度の低いものを食べる、なんていうことを心がけて、日常の食事を見直します。カロリーが多いとか少ないとか、塩分が多いとか少ないとかは気にしない。

1)は人間は土から出来てるから当たり前の話。人間も含めて循環しています。
2)は自然が用意してくれるものを食べるといい。夏は体を冷やしてくれる作物が、冬は体を温めてくれる作物が用意されている。
3)は唾液で分解された食べ物が腸の中でバクテリアによって分解されるのが正常なので、そんなに精製度を上げなくていい。糖なんかは体内で分解されてできる糖があるので、砂糖のようなもので摂る必要はまったくない。

こんなことを基本にして、それに栄養価を調べてうまく組み合わせていくだけ。酸化しやすい脂ものも食べない、食べるとしても調理したてにする、みたいな工夫をする。

おかげさまで椎間板ヘルニアは完治したし、同じような方法で花粉症(アレルギー)も治まったので、狙いは正しかったんじゃないかと思う。今はこの方法に加えて、さらに知識も増えたので、もし次にやるならもっと良い結果が出せると思います。わざと体調を崩して自分の体で実験してみたいなんて少しだけ思います。

これとは反対に健康状態を悪化させたこともあります。
仕事で追いつめられ客先に缶詰にされ、毎日お昼はマクドナルドのハンバーガー。
3ヶ月で心も体も病みました。危うくノイローゼ。
幸い食事療法を知っていたので、その仕事を止めてから体調を元に戻せましたが、たぶんあの食生活とストレスがあと半年続いたら死にます。 自殺するかもしれない。

アトピーやアレルギーは病気じゃないです。
あれは自然治癒力の現れです。
体が分解しきれない物質を吐き出して、もうこれ以上変なものを体に入れないでくれと訴えてる。
でも、本人は病気だと思い込んでいる。
そして怒りっぽいから、ちょっと強く言われるとすぐにキレる、他人の話を聞かない。
さらに、病気である自分に寄りかかって、(病気のせいで)可哀想な自分に優しくして欲しい、優しく扱われるべきだと考える。
だから、アドバイスをしてもムキになって反発し話を聞かない。
悪循環です。

食べ物は選ぶことができます。
できるはずです。
そう思ってたんですが、実際は選ぶのすごく難しい。
第一に自分が生まれ育った地域で採れる作物が激減してる。上に書いた1)の条件が満たせなくなっている。
第二に農薬による栽培や遺伝子組み換えが 行われた作物がもの凄く多い。

自然食がいいからって通販でお取り寄せなんていうのは、自然の循環という観点からはバツの場合がある。
北海道の人が沖縄の野菜を食べたって自然の循環に沿わない。

結局行き着く所は、作物を自分で作り種を守り、自然の循環を意識して食べて出して暮らすという所。

気がついた人からやっていきましょう。

ずっと勘違いしていたことがあります。
よく右翼左翼みたいな対立軸を見ます。これと同じように改憲(+自主憲法制定)と護憲という対立軸があります。巷の言論を見ていると、右側の人に改憲が多く左側の人に護憲が多いようです。
数年前まではこの対立軸が米ソ冷戦構造の反映だとばかり思っていた。そういう面もあるけれど本当は違う。

勘違いその1。

自主憲法制定というの考え方は、元々日本共産党のアイデアだった。
米国による占領が解けて自主独立するなら、自主憲法制定をすべきという考え方。米国に限らず、それがロシアだろうがなんだろうが、自主独立するなら自主憲法だという考え方です。
自主憲法制定派は改憲派の一種だと思ってたので、どちらかと言えば右側の人たちの考え方だと思ってたわけです。

勘違いその2。

戦後、GHQの後押しのもとで憲法普及会議というのが作られ、右派左派入り乱れて、国会議員も役人も学者も入り乱れて、日本国憲法が良い憲法だと普及させるといういかがわしい行為を行った。右派あるいは保守系だと言われる政党も政治団体も、この憲法普及会議のメンバーだったりしたわけです。ですから右派あるいは保守系だと自称あるいは他称している政治家だって、強力な護憲派だったわけです。

勘違いその3。

よく左翼はロシアや支那の回し者という捉え方をされます。その左翼が護憲派だということから、護憲派も左翼的なものだと思われる。ここにロシアや支那ー>左翼ー>護憲派という図式ができてくる。ところがこの護憲派を作ったのは、紛れもなく憲法普及会議ですから、護憲派左翼を作ったのは米国だったということ。

今、自主憲法制定と言っている自民党などは、初代総理大臣の鳩山一郎が言い出したことで党是にもなっていると思いますが、憲法普及会議の流れで、途中から、米国に追従する(米国の言うことを聞く)には単純な護憲派ではいられない。なので純粋な護憲派とは違う別の護憲派になり、日本国憲法(の理念)を普及させながら、それをいじくって行こうというのが本音。なんのことはない、同じ穴の狢だったわけです。
共産党は自主独立のためには、どの国にも隷従しないためには自主憲法制定だと考えたのに対して、日本国憲法をいじくりながら米国に追従するために自主憲法制定と考えたのは、共産党よりも程度が低いと言わざるを得ない。
自民党の不人気はこんなところにもある。いかがわしい感じがするという人はけっこういるように思う。

左翼よりもいかがわしい戦後保守。
そう言っていいと思う。

ネットで情報を集めずにテレビや新聞に影響されてしまう人をB層と言って馬鹿にする戦後保守政党支持者は哀れです。このいかがわしさを感じ取れない。一種の信仰じゃないかと思う。

 

今日はカブとニンジンの最後の収穫をしました。
どちらも土に直に植えたもの。
ゆっくり元気に育った野菜を収穫するときはすごく嬉しい。

白い細長いのは大根です。

収穫すると井戸の水で洗ってから、台所に持って行って調理しやすいように切ったり漬け物にしたり。
うちには糠床がないので漬け物といっても浅漬けです。
天然の塩をたっぷり使って、酢とみりんに混ぜてよく揉んでから、昆布だしと唐辛子をいれて一日か二日放置するだけの簡単なやり方です。
これとみそ汁と納豆でご飯を腹一杯食べる。

最近、土日は睡眠不足の解消のために寝る時間が多いので、ギターを作る時間が少なくなりました。
手彫りで加工していた3号機のLes Paul DCのチェンバーでしたが、深くなると手持ちのノミでは上手く彫れないので、電動工具に頼りました。
トリマーを使うと木の粉が部屋中に飛び散るので部屋の中では使えません。音が大きいので昼間しか使えません。
まだピックアップやトラスロッドを買っていないので、今日できたのはチェンバーを30mmの深さまで彫ることと、ピックアップの配線用の溝を彫るだけ。

ピックアップが届いたらピックアップを取り付ける穴を彫り、ネックのジョイント部が出来た時点でネックポケットも彫り、ボディーの裏側からコントロール類を取り付ける穴を掘り、そこまでできたところでボディーの外形を切り取ります。
この彫る作業が多いのがエレキギター作りの特徴。
アコースティックギターだと彫るのはネックのジョイント部とトラスロッドの溝くらいですから、電動工具がなくても困らないんですけど、エレキギターを手道具だけで作るのはかなり大変です。いずれは手道具だけでやってみたいですが。

1号機は気に入らない部分があったのでボディーだけクリアラッカーを塗り直して乾燥中。1週間くらい待ってから磨きに入ります。ネックはもうできています。

2号機はやっとマホガニー部分の導管が埋まったのでクリアラッカーを塗って乾燥中。数回塗っては磨いてを繰り返して仕上げです。もしかすると2号機の方が1号機よりも先に完成するかもしれません。

本当は早く3号機を終わらせて次のテーマに移りたいです。
2号機はPaul Reed SmithのCustom 22をアコースティックにしたようなギターですが、4号機ではこの方向で作り方を変えてやってみたい。PRSの形をしたGodinのようなギターになるかもしれません。たぶん今自分が欲しいギターはそんなギターです。

親米右翼という実際は従米左翼の人とかってたくさんいるでしょ。
もう俺たちはアメリカには逆らえないから、アメリカは怖くて批判できない。だから批判する先は支那や韓国にして、とりあえず鬱憤を晴らしている。そんな風に見える。

チベットやウィグルでの民族浄化に腹を立てるけれど、日本中に焼夷弾を落とし原子爆弾を落としてて世紀の大虐殺をし、占領中に婦女暴行や殺人を繰り返したアメリカに対しては黙ってる。

 そういう人たちを見てると日本人って何?日本人らしさって何?って考えてしまいます。
日本は祭祀国家。
天皇が祭祀をしている、国家元首が祭祀主の国です。
祭祀をすることで日本が日本たらしめられている国です。
学校や家庭で教わらないから知らないだけで、そういう国です。

だいぶ前から考えてるんです。
祭祀的な生活。
なぜかと言えば、天皇陛下の祭祀は祖先祭祀・自然祭祀なわけで、これは一般の私たちだって同じことをしてもいいし、むしろしないと一体感が生まれないと思うから。

「神棚を置いて祝詞を」とかいろいろあると思うんですけど、いきなりはできないよなーなんて、ちょっと言い訳っぽいけれど思ったりします。大人になるまではっきりとした祭祀的行為をしていなかったから、なんとなくハードルが高いような気がするわけです。

じゃあどうしようかっていうことで、結果的に祭祀の心が生まれればいいと思って始めたのが、家庭菜園でした。
家庭菜園というとただの趣味みたいに思う人がいると思いますが、これは小規模農業と言ってもいいです。
正確に表現するなら、僕が始めたのは自然農法による小規模農業です。

どういうことをするかと言えば、とにかく自然の力に任せる。極力耕さない。極力肥料は使わない。太陽の光と水と土だけ。(他の作物の葉っぱや枯れ葉、米糠などは使います)
できない日はありますが、仕事に行く前と仕事から帰ってきた時に菜園を見て、ちょっと手を添えるような感じで世話をする。

これがなかなか上手く行きません。
急には土がよくならないとか、日当りが不十分な場合もあるし、手入れの過不足な場合もある。

そして何か収穫したら、それを仏壇やお墓などに供える。

そんなことを右も左もわからずにやってみてます。
小さな菜園でお世辞にも良い結果が出ているわけではないですが、わずかな収穫があると嬉しいし、太陽と水と土の力を感じるし、食べると美味しいし、ありがたいという気持ちになる。
食べ物がないと生きていけないという当たり前のことを実感してありがたいと思うわけです。
そして、それをご先祖様に供えるときに、ご先祖様がいたから今ここに自分がいるんだということを実感してありがたいと思うわけです。

世界で最も歴史のある国家が日本。
世界で最も長い家系が皇室。
奇跡のような国なんですが、根幹は先祖と自然への感謝だと思うんですね。
それを続けてきたのが日本だし天皇です。
だからその一員として同じことをやる。
そうすると一体感を感じる。

過去と未来をつなぐ今に生きてる自分が、どこから来てどこに行くか、なんていうことを考えながら、こういうことをやってみる。
簡単でいいと思うんですけね。これなら続きそうだし。難しいことは追々覚えればいいし。実質的な祭祀的行為だと思うし。

今日2月22日は竹島の日。
明治38年2月22日に島根県知事によって所属所管を明らかにする公示が発せられ、それから100年後に島根県議会により竹島の日とされました。明治38年の公示以前にも江戸幕府により漁を目的とした渡航が許されており、日本が実効支配をしていたと言っていいでしょう。

戦後、一時的に日本による施政権がなかったわけですが(この時点で日本を支配していたのはGHQ)、米国は竹島が日本領であるという認識は持っていたと思われます。しかし、日本側からは竹島が日本領であることを主張したにも関わらず米国はここを「曖昧」にしました。竹島が日本領であることと領土の範囲をあえて明確にしなかったのは、当時、駐日政治顧問であったウィリアム・J・シーボルトであったといわれています。
この態度をはっきりさせないところが、なんだか尖閣諸島や北方領土の構図に似ていますよね。

「竹島は日本の領土なんだけどゴニョゴニョ・・・・」みたいな感じです。

「尖閣諸島は日本の領土なんだけどゴニョゴニョ・・・・。北方領土は(千島列島も)法的には日本の領土なんだけどゴニョゴニョ・・・」

親米派はこういう論法を持ち出します。

「米国は中韓露との衝突をさけたいから仕方ない」みたいなの。

法的根拠で決着をつけずに、政治的な思惑と歴史解釈(みんなが違うことを主張する)が交錯する状況です。

「歴史解釈でみんなが違うことを主張するのを放置して、決着がつかないように、常に日本が周辺国と緊張状態、あるいは敵対した状況を政治的な思惑で作っている」と言えるんじゃないでしょうか?

日米同盟が米国が日本を守るためのものだと勘違いしている親米派の人は、これらの領土問題を日中、日韓、日露の問題と捉えがちですが、これは明らかに米国を含んだ国際問題ですよ。

日本は国際司法裁判所に竹島領有権について提訴をしていますが、韓国側が応じないので話が進展しません。
提訴しても応じなければ何もできない。
文句を言っても馬の耳に念仏みたいな状況なわけです。

こんなものは実効支配をしてしまえばいい。
法的根拠があるならやればいい。
戦争になるかもしれないけれど、「殴られても筋を通す」方がいいんじゃないでしょうか。
別に蛮勇を奮うのが良いといってるわけではありません。筋を通せという話です。
こういうことを自国で決断できない、米国が曖昧にしたままの状態でいる。
政治家さんたちが怖いのは韓国ではなくて米国なんでしょうね。

在日特権について。
何やら「在日特権を許さないぞー!」ってやっている団体がありますが、在日米軍の特権には何も言わない。
在日米軍は交通違反をしても違反切符を切られない。飲酒運転もオッケー。(米兵の自主的な対応に任せている)
日本の空は米軍が優先。そのために米軍基地周辺上空を日本の航空機が迂回させられている。日本の領空ではない部分がたくさんあるということです。

これも「歴史解釈でみんなが違うことを主張するのを放置して、決着がつかないように、常に日本が周辺国と緊張状態、あるいは敵対した状況を政治的な思惑で作っている」というやり方と同じじゃないの?

婦女暴行、強盗、殺人、ひき逃げなどの凶悪犯罪は、それがどこの国の人がやっても凶悪犯罪です。
韓国人はダメで米国人はオッケーということはない。

占領期から日本のメディアは占領軍の広報機関として機能してきました。
今でもそういう面がある。
日韓離反の情報工作で在日韓国人が犯罪を犯したことを、そのときの政治状況に合わせて報道し、米国人の犯罪は一貫して隠す。
米国の広報機関として機能するメディアなら、それくらいのことはしそうなものだと思うでしょ?
マスコミが韓国や支那に支配されているという人がいますけれど、それは真実の半分くらいしか言ってない。
米国の不利益にならないときは、韓国や支那が支配しているのを容認し、ここぞというときは米国が情報操作に介入する。そういう構図です。日中間で問題が起きれば、例えば尖閣諸島で問題が起きるなどすると、クリントンのメッセージをメディアが流し、視聴率の高い番組に従米政治家が緊急出演するなんていう構図は、ずっと前から繰り返し行われている。

憲法問題にしたって「護憲と改憲の対立構図」が作られるし、皇位継承問題にしたって「男系派(正統派)と女系派の対立構図」が作られる。これなんかは、憲法として無効なニセモノ憲法と皇室典範としては無効なニセモノ皇室典範を原状回復すれば、そもそも対立構図が成り立たない。議論する命題が消える。

ありもしない対立構図の上でグダグダ言わされてるっていうことに気づいて対処する方法を考えましょうよ。

対立構図が目の前に現れたときは要注意です。

時々、学校の先生が卒業式などで君が代を歌わないのが問題視される報道がされるときがあります。
そういう報道を見聞きして、国旗国歌を尊重しない敬わないのはけしからん、愛国心がないとか反日だとかって言って怒る人がいるわけです。
正確にはわかりませんが、ずっと前から日の丸は日本の国旗で君が代は国歌だったので、国旗を掲揚し国歌を起立して歌うのは当たり前だと思う人がたくさんいます。
でも、時々そうではないと思う人が出てくるわけです。

僕は国旗国歌を大事に思っているので、常日頃から国旗を部屋に飾っているし、国歌を歌う場で歌わなかったことはありません。でも、最近、こういう論争を見ていると、ちょっと違うんじゃないかと思うことがあります。

国旗国歌に反対する人は、それが国家への忠誠を強要されていると考えるから。そういう話をよく聞きます。

そもそも国旗国歌とは何?

日本のような伝統国家、建国以来長い年月を1つの国家として存在してきた国家では、「家」という字が使われているように1つの家、みんなが家族だという認識があるからだと思います。革命が起きて統治構造が大きく変わったわけでもなく、変容をしているとは言っても同じ言語を使い、文化も失われず蓄積されてきている。多少の例外はあるけれども。
パリのようにケルト民族が住んでいたところが他の民族に制圧されて抹殺されたり、アメリカ合衆国のように原住民を虐殺して成り上がった国と違う。統治構造も言葉も民族も変わってる国と日本は違う。

日本では、天皇祭祀が滞り無く行われています。
命を繋いでくれた祖先に感謝し、生命の源を提供してくれる自然に感謝するのが祭祀の原型で、それを君主である天皇陛下が続けておられる。祭祀国家なんですよね。統治者が祭祀の主なんだから。
この天皇を軸にして集まって暮らしているのが日本人です。
ありがたくない坊さんのありがたそうな話をありがたがって聞いている人もいるでしょうが、根っ子のところには天皇祭祀と同じように、祖先への感謝とか自然への感謝の心を持ってみんな生きてます。大方の日本人は。
我々には実体として軸があって、統治者と我々は同じ軸を共有している。

ところがアメリカ合衆国のような国には、そういう実体として軸がない。
軸がないと集まれないしまとまれない。
じゃあ、軸を作りましょうというのが、国によって多少は違うかもしれないけれど、国旗国歌(シンボル)だったり、宗教(教義)だったり、徴兵制(国家への忠誠を試す制度)だったりするわけです。

日本で「国旗国歌」を強制することは、必要ではないのかもしれない。
もちろん反国家的な行為、革命などを起こす勢力を牽制する必要はあるとは思うけれど、強制しなくたっていいんじゃないのか。
強制しなくても自然に国家を大切に思う心を育てることが優先ではないか。
強制されなくても国歌を歌えるようになるのが優先ではないか。

この国旗国歌問題を見るにつけ、そう思うんです。
「国旗国歌を大事にしない教員はクビだー!」って言っても、我々の軸である祭祀の心を持って実践している人ってどれだけいるんでしょうか?
そういう自分がどれだけやっているかと振り返ってみると、自分が作った野菜を亡くなった祖母(を中心とした祖先)に供えるとか、ご飯を食べる時に感謝の言葉を口にするとか、だいたいそんな程度。こりゃいかんと気がついて、少しづつ祭祀的な要素を生活の中に取り入れるようにはしているけれど。

あまり読む人がいないとは思いますが、大日本帝国憲法の告文を読むと、いかにも祭祀的な文章なんですよね。
皇室典範(明治典範=正統典範)も祭祀の実践を継承するという要件があるし、皇室祭祀令なんていうのもあります。
教育勅語も祭祀の実践が書かれている。

これらは日本国憲法の制定と同時に廃止されました。
大日本帝国憲法も皇室典範も「不磨の大典」と呼ばれるように、勝手気ままに変更できないものなのに、勝手に変えてしまった。法的には無効なので、本当は今の日本国憲法も皇室典範も偽物なんです。

祭祀国家が祭祀の実践を怠っては祭祀国家たる要件を満たせない。
祭祀国家の要件であるものを、力づくで変えられたことに怒らない日本人。
なぜ取り戻そうとしないのか。
国旗国歌の問題は表面的なものだと思うんですね。
本質的な問題はそこじゃない。

偽物憲法と偽物典範を使いながら教育ができるのか。
子供たちを導けるのか。
たぶんここが正されれば、国旗国歌に反発する教員などは減ると思う。

「自然」とは「自ら」「然らしめる」ということなんでしょうけれど、これがなかなか解らなくなってるような気がします。一昨年家庭菜園をやろうと思って、始めたのが去年の2月頃。段ボールでコンポストを作って、大豆や米を育て始めた。その時から化学肥料は使うのはやめよう、電気などの石油を使うエネルギーは使うのはやめよう、なんていうことを考えながらやっているんですが、それから、あるツイッターのアカウントから発せられるツイートがとても気になってます。

自然農bot (@shizen_no)というアカウントのツイートです。

こちらです。

http://twilog.org/shizen_no

いくつか取り上げて、思ったことを書いてみます。

土を裸にしないことが大事で、種を蒔かなくても草をかぶせておいたら、小動物の生活が始まって、土が再び甦ってくれますね。

これは試しにやってます。
家庭菜園の土を裸にしないで、籾殻を敷いたり、ギター制作で出たカンナ屑を撒いたり、収穫した野菜の食べずに捨ててしまうような葉っぱや茎を敷いたり。

ぼくは酸性・アルカリ性の別のないところで種を蒔いています。

家庭菜園の解説書なんかを読むと、石灰を撒いてアルカリ性にして・・・のような記述に出くわします。そういうもんだと思ってたんですが、そうでもないのかな。うちは井戸水や雨水を竹炭で濾したものを菜園で使ってます。竹炭で濾した水は少しアルカリ性になります。そんなこともしないわけなんでしょうね。

これも同じような内容です。

おおいなる自然界、生命界は対を絶し、別を絶したすべてが一体の存在にして、同時にすべては個々個々別々、相対する存在なんですね。このことは二つのことではなくてひとつのことなんです。

善悪、内外、男女、全体と部分。違うようで一体ということが多いんですよね。 分けると存在できない概念っていうのかな。そういうことを言ってるのかな。

自ずから次の生命が棲みやすいような環境にかえていくわけでしょう。かえるのじゃなくてかわっていくのですね。棲みにくいようにはかわっていきませんものね。棲みやすいようにかわっていくんですね。

「自ずから」「然らしめる」なんですね。

農薬の害が恐いから農薬を使ってはいけないという以前に、農薬を必要とするようなお米となりますのはお米の生命力が弱いということです。耕す、肥料を与えることによって弱くなったのです。

これっていろいろなことに当てはまるんじゃないかと思います。
現代の日本人ってこの「弱くなった」に該当するような気がするんですね。あれは悪いこれは悪いって言うばかりで、知識や過剰な栄養で肥えて弱くなっているような。

私の人生を生きるとき、私の人生を生きることに。他人に依存してはいけません。

おっしゃる通り。
依存すれば、例えば期待を裏切られて怒ったり、悪い事があれば他人のせい、みたいになりますからね。

政治が未完であれ、一人ひとりの末端の人の意識が変われば、なんとかやっていれば、それで政治と関係なくナスビやお米が育ってくれますものね。そのへんの所がわかれば、政治が今どうであれ、あまり気にしないで、とにかくやれますわね。

これもおっしゃる通り。
米や茄子が育って、水があって、空気があれば、デフレだろうがインフレだろうが生きていけます。 この辺は家庭菜園を始めた動機みたいなものです。

生命界すべて、先の生命が終わるころに次の生命が用意されていて、つねに重なっている。

そうそう、用意されてる。

自然界において人間以外の生命は、ほとんど貪らなくて足ることを知ってると思うのです。私たち人という生き物の性には、貪る性があります。必要以上に貪って我が生命、多くの生命を損ねているわけです。

性なんですね。「足る事を知れ」って子供のころに祖母に言われましたけど、意識する、あるいは解らないとできないんでしょうね。

何かの仕事をしてですよ。それが生きがいになるのはちょっと外れていると思うのですよ。基本のところでは生きていることがそのままよろこびになる。生きていることがそのまま生きがいになる。

これは最近になって解ってきたこと。よく自分探しなんて言う人がいますが、なぜそんなことをするかというと欠乏感ですよね。何かが足りない満足できない、まだまだやれることがあるんじゃないかって思ってるから。「生きてるだけで儲けもの」みたいな事を言う人がいますが、儲けるとかっていう以前に生きてることがありがたい、その生を生き切ることが楽しい。

他を冒すことは、言いかえれば我が生命を冒すことと同じです。空気を損ねたら、川の水を損ねたら、山を損ねたら、我が生命を損ねることと同じなのですね。

これはなんとなく子供のころから思ってた。思ってたけれどそれを忘れて過ごしたことはある。車やオートバイで遊ぶときも、なんとなく空気を損ねてるっていう気持ちがどこかにあった。ゼロにはできてないけど、極小にはできたかな。まだ見直せるところはあるからこれは引き続き努力だな。

絶対界に立って全体を見渡せなくなっている。それは人としての生命体の退化です。そこに宿る智恵と能力も十全に働かなくなって、そういう小さなせまい浅い智恵と行動になるんですね。

本来備わってる力が発揮できてないということですかね。本能とか直感とか。

自然農に取り組んでいる人の言葉を集めたものらしいですが、現実世界というのか、生命界の実相というのか、そういうものを把握するのに、自然農をやっていたら「自ずと」「解ってきた」。そういうことなんだろうと思います。

よくもぬけぬけとこんなことが書けるものだと思う文章です。

憲法普及会議なるものが、日本国憲法を普及するために、国の予算を使いGHQの後押しの下、大々的に宣伝した文章です。

こちらから。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/05/141/141tx.html

新しい日本のために――発刊のことば

古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した。生れかわつた日本には新しい国の歩み方と明るい幸福な生活の標準とがなくてはならない。これを定めたものが新憲法である。
日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもつて世界の諸国と交りをあつくすること。
新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。まことに新憲法は、日本人の進むべき大道をさし示したものであつて、われわれの日常生活の指針であり、日本国民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である。
わが国が生れかわつてよい国となるには、ぜひとも新憲法がわれわれの血となり、肉となるように、その精神をいかしてゆかなければならない。実行がともなわない憲法は死んだ文章にすぎないのである。
新憲法が大たん率直に「われわれはもう戦争をしない」と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであつて、平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きあげてゆかなければならない。
新憲法の施行に際し、本会がこの冊子を刊行したのもこの主旨からである。
昭和二十二年五月三日 憲法普及会会長 芦田 均

マッカーサー草案を下敷きにして、英文で書かれたものを翻訳したと言われる日本国憲法。
純粋な国内行為である憲法制定に外国の関与があったというだけで無効です。

日本国憲法に関してはいろいろな立場があります。

  1. 変えてはならないという護憲という立場。
  2. 一部または全部を改正しなければならないという改憲という立場(自主憲法制定という主張もこの範中)。
  3. 無効であるという立場(全面的に否定するもの)。
  4. 憲法としては無効だけれど法体系に制限付きで有効性を認めて組み込むという立場。

1と2は立法論的な対立軸でしょうか。どちらも日本国憲法が有効であるというのが前提です。
そういう意味では1と2は3と4に対立する考え方です。立法論と効力論の対立です。
さらに3は全面的に無効であるという主張なので、4の制限付きで有効性を認めるという立場と対立する部分があります。

3と4は過去の憲法審査会などで、ほぼ無視される形で議論されてきているので、ほとんどの日本人が知らない。
知らないので憲法の議論になると、護憲か改憲かという立場だけが表に出てきます。
ここに誤摩化しがあるんですね。

ポツダム宣言を受諾した時点で日本に求められていたのは「民主的傾向の復活」でした。「復活」というからには、以前にも「民主的傾向」があったわけです。おそらく軍部官僚が戦争を推し進めたことの問題点を指摘するものと思われます。それがいざ占領が始まるとGHQを主体とした極東委員会によって 「新しい憲法」を作ろうという話になり、極東委員会が主導する形で新憲法の策定作業が行われます。日本が降伏した時点では誰もが新しい憲法を作らされるとは思っていなかった。この部分がよく言われる「押しつけ憲法」であるというものです。

「押しつけ憲法」だから、2の(一部または全部を)改正する、3の無効であるという主張が出てきました。押しつけは嫌だという情緒的な反応がほとんどです。

ここで問題となるのが上の憲法普及会議です。
GHQの後押しで活動した普及会議ですから、これはGHQの意向なわけです。政治家、官僚、メディアが総出で日本国民を騙すための活動です。「古い日本は良くなかったけど新しい日本は良い」という宣伝を大々的に行うわけです。
鳥は生まれたときに最初にエサをくれた者を親だと思うそうです。戦争が終わって65年。今80歳の人もその時点では憲法のことを学んだ人なんかはほとんどいなかったでしょう。そういう日本人たちにとっては、GHQ製の憲法を親だと勘違いしている可能性があります。
この憲法普及会議は日本国憲法を普及されるのが目的ですから、上の例で言えば1の護憲派なわけです。

新憲法について帝国議会で審議が行われているときに唯一反対したのは共産党でした。
後に保守合同で自民党ができますが、そのメンバーは反対するどころか日本国憲法の普及に携わる者も大勢いました。保守合同と言いながら、外国製憲法の普及を目的とした護憲派としてスタート切ったことになります。古い日本は悪い新しい日本は良いを一生懸命宣伝したわけです。外国の勢力の手先となって。
そういう経緯を考えると、1と2は同じ穴の狢。
日本会議のような保守系団体と言われている団体も、この憲法普及会議の一派のようです。だから彼らは日本国憲法を改正しろとは言うけれど無効だとは言わない。自民党の別働隊みたいなもの。

外国の勢力の手先となって、外国製の憲法を無理矢理普及させ、人々を長い間欺き続けた団体を保守団体と呼びますか?
売国団体と呼ぶんじゃないの?
売国が嫌なら、対米隷属、対米従属とでも呼べばいいでしょうか?

法体系には階層構造があります。
大雑把に書けば、不文法>成分憲法>法律 という階層です。
不文法は長い時間をかけて私たちの祖先が築き上げてきた規範群です。人を殺してはいけないとか、無闇やたらに異性の交渉してはならないとか、人の物を盗んではいけないとか、夜遅く女性が一人歩きをすると危ないよとか、そういう当たり前の規範と、天皇は男系継承であるとか、国語は日本語であるなどの国柄を含みます。これは特定の人間が無闇勝手に変えることができません。これを改正限界と言いますが、この改正限界を覆してしまったのが日本国憲法というモノです。

ほとんどの日本人が正統な憲法を学校で学んでいません。憲法普及会議は国を挙げて私たちを欺く目的の活動ですから、当然のように教育の現場もこれに従ったわけです。不文法から抽出したものを文字に表したのが大日本帝国憲法ですから、本来であればこちらを学ぶべきなんですが、学校ではまずこれを教えません。
幸い大日本帝国憲法をわかり易く解説してくれている人がいますので、そのリンクを載せておきます。http://ameblo.jp/sangreal333/

改正限界を越えて制定された日本国憲法。
これだけで無効なのですよ。元々無効。一度も憲法として有効性があったことがないという意味です。
憲法を制定するという行為の時点で無効なので当然です。 正統性も妥当性がない。

よく「もう60年以上通用していたのだから無効と言われても困る」という人がいます。
「通用」は「まかり通る」という意味であればその通り。
でもこの通用している部分は憲法として通用したとは言えるかというとそうではありません。

なぜか。

日本国憲法では戦争を終わらせることができません。
戦争を始める終わらせるという権利を持ってないから。
「交戦権」に含まれるこれらの権利を否定してるでしょ?
日本国憲法が交戦権を否定するのは当然です。サンフランシスコ講和条約締結前に公布されたわけですから、まだ占領が解けていない時期です。占領中に交戦権があったら占領に支障が出ます。
日本国憲法には講和権がありません。講和権がないからサンフランシスコ講和条約は締結できません。にも関わらず講和条約を締結しているということは、この時点で日本国憲法は通用していない。
さらに戦後朝鮮戦争が勃発した際に、日本は米国の指示で警察予備隊として再軍備をしていますね。海上保安庁(元帝国海軍)が機雷の掃海作戦に参加しています(参戦しています)。
日本国憲法の中で「戦力を持たない」あるいは「国際紛争のために戦争はしない」と謳っているにも関わらず守っていない。しかも、米国の指示でやっている。
憲法として通用していません。
実効性がない。

憲法としてではなく通用していると言えるかもしれません。

おかしなこともたくさん書かれています。

前文にこう書かれています。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

日本国憲法を審議したのは帝国議会なので国会の代表者を通じて行動したわけではない。この時点ではまだ占領中だったので主権はマッカーサーのものであって、日本国民にはありません。嘘が書いてありますよね。今まで一度も国民に主権があったことはありません。国民に主権などがないから、国会と官僚が好き勝手にできるんでしょ?消費税に反対だと言っても消費税が上がるし、TPPに反対だと言っても外国に行ってTPP参加を表明してしまう。国民に主権はないでしょ?(ちなみに主権そのものが日本にはないので今後もない。革命が起きない限り=これは共産党の狙い)

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

日本国民の総意を確認したことは一度もありませんよね。嘘が書いてありますね。それとも願望でしょうか?

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

世襲としか書かれてないので、男系継承でも女系継承でも良さそうです。紛らわしいですね。いらぬ論争の種です。

第四条 天皇は、この憲決の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

これでは統治者としての天皇はいないことになります。象徴天皇というはこういうことを言うんだなと思える部分。そうなると日本は立憲君主制国家ではないということになります。東大の法学の教授が日本は「立憲民主制」の国であると講義で話していますね。

挙げ始めるとキリがありません。

憲法としての正統性も妥当性もない。
憲法としての実効性もない。
憲法ではないということです。
憲法ではないなら何かと聞かれたら、これは講和条約だと答えるが妥当です。日本国憲法が公布された時は英語版と日本語版が同時に官報に載りました。これは国際条約の形式じゃないですか。条約だから外国にケチをつけられるんですね。内政干渉だって突っぱねられない。日米間の条約だと思って読むと日本国憲法がよくわかりますよ。やってみてください。
同時に大日本帝国憲法が不文法を反映した憲法だと思って読むとよくわかります。これもやってみてください。

憲法ではないものを憲法であると強弁する。
いつまで嘘をつき続けるのでしょうか?
これまで騙し続けてきた、あるいはこれからも騙し続けようとしている反日日本人にどう対処しましょうか?

子供に聞かれたら、「憲法じゃないけど憲法なんだよ」って説明する?
あるいは「憲法じゃないからどうでもいい」って説明する?
あるいは「憲法だけど守らなくてもいい」って説明する?

どれもいかがわしいですね。

日本人は欧米に追いつけ追い越せで努力してきました。

みなさんご存知のように日本は独立国の体をなしていません。日本銀行の出資者の40%は誰だかわからない、米国債を自由に売れない、米軍がいないと国防もできない、尖閣諸島や日本海の油田やメタンハイドレードも自由に採掘できない、奪われた領土も取り返せなければ領土を侵犯されても何もできない、日本の領域内に日本が自由にできない領空が存在する(米軍が優先される)。
日本銀行の出資者については不明ですが、その他の点ではすべて対米従属の結果です。日中、日韓、日露が緊張状態であるのも、米国が仕組んでること。孫崎享さんの著書を読むといいでしょう。

対米独立のために決意し努力する時ではないでしょうか?

今日はまとめていくつか収穫です。

まずはカブとニンジン。
写真に写ってるのは比較的大きめのもので、小さいのがこれと同じくらいあります。

そしてダイコン。
ダイコンは今年これが最後。長さは25cmぐらいかな。

今楽しみにしているのはこのソラマメ。
種が高いんですよね。いただきものですけど。
6つほど蒔いて全部発芽しましたが、育ちぶりは差があります。

だいたいいつもプランターに蒔いた方が早く大きくなります。直蒔きした方はのんびり育ってる感じ。
同時に蒔くと収穫に時差があっていいかも。

カブはすぐに食べきれないので浅漬けにしました。

天然塩、みりん、酢を混ぜたもので揉んでから、昆布だしを入れてまた揉んで、唐辛子を入れて放置。
明日には美味しく食べられるでしょう。
ぬか床が欲しくなりますね。漬け物はぬか漬けが好きです。

 

ギターの方は1号機をラッカーが乾いた頃なので、仕上げをするべく水研ぎ。
クリアラッカーがテカテカ凸凹 しているので、完全にマットな状態まで水研ぎします。
調子良かったんですけど、最後の最後にネックやボディーの角の塗装を削ってしまいました。ラッカーの層が薄いので目の細かい耐水ペーパーで用心して研いでたんですが、思った以上にラッカーの層が薄かったみたいです。
補修してクリアラッカーを吹き直しました。これで完成の日が遠のきました。

2号機はマホガニーとローズウッドの部分にサンディングシーラーを塗って乾燥中。

3号機はボディーのチェンバーを掘りました。まだ途中です。
トリマーでザーっと掘るつもりでいましたが、何を思ったか突然ノミで掘るという暴挙に出ました。
やり始めたら止まらない。
6時間飲まず食わずでチマチマと掘ってました。
それでも8mm程度しか掘れていません。 30mmの深さまで掘らないといけないんですよねー。
あと何時間かかるのかな。

トリマーを使うと早く掘れますが、のんびり木と戯れるのも悪くないです。
疲れるけど。

肘や手が痛くなってきましたが、断食して寝ずに24時間かけて自転車で伊豆半島を一周したり、シングルスピードの自転車で寝ずに23時間かけて伊豆半島を一周したりしたのに比べると、この程度の力仕事は楽に感じます。

乗りかかった船なので、このまま堀り進めようと思います。
明日はこれで一日潰れそう。

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