僕も米のとぎ汁から乳酸菌を培養して、それを基盤にして除染の効果を調べたり、作物を育てたり、いろいろ試しています。
EM菌を使った除染などを試みている人もたくさんいます。
節電するための機械などを作っている工房にも見学にいって、どんな仕組みでどんな効果があるかも調べました。
原発事故以来、いろいろな人が、生き延びるために努力をしています。
せっかく努力しているのだから、努力が実を結ぶことを願います。
努力は継続することが大事です。
継続なくして結果は出ません。
継続させるためには目標というか方向性というか、動機が持続する何かが必要です。
その何かについて書きます。
原発問題も食料問題も(資源の問題も人口問題も)、根っ子は同じなんだと思うんですね。
なぜこんなことになっているのかという背景を知る必要はあると思います。
原発問題の原因として真っ先に思い浮かぶのが利権。
ウランの採掘はほぼ独占されています。
原子炉の製造も同じグループが行っています。
金のためなら何でもやるグループです。
金のためなら何でもやるグループが、金を欲しがる人たちを巻き込んで推し進めたのが原子力発電です。
その恐ろしいほどのエネルギーを享受する側も、金を持っていることが豊かなことだという価値観を持つように育ってます。
被害に遭っている方も利権を得ているんです。
こういう価値観では「金があればなんでも手に入る」という幻想の下で生きることになります。
ところが金で買えないものは世の中にはたくさんある。普通の人はそれがわかってる。わかってるにも関わらず「金で買う」という価値観も持っている。現実と価値観との狭間で苦しむことになります。
「金で買えないものを失いながら、金で買えるもので豊かさを享受して、最終的には金で買えるものも失う」
ウランも石油も枯渇しますから必ず失うことになります。
困ったことに「金で買えるもので豊かさを享受してる人」と「最終的に金で買えるものを失う人」は世代が違います。
将来の人間は現在生きている人間が得たことによって失うものばかりになる。
しかも「金でなんでも買える」というのは幻想なわけですから、幻想が未来の人間を苦しめることになります。
幻想を「思い込み」という言葉に置き換えることもできるでしょう。
思い込みが人間を苦しめる。
思い込み(理性)を信じる、信じた思い込みが絶対だと思う。
これが左翼思想と言われるものの本質じゃないかと思います。大きなところでは歴史的に失敗が多い思想ですが、なかなか消えませんね。
とても野蛮だと思うのですが消えません。
「もったいない」という言葉がありますが、これは「たくさん使えばなくなるから後で困る」ということを本能的に把握しているから出てくる言葉です。 「もったいない」から使いすぎない。「もったいない」から使い回す。「もったいない」から、本来の使い方が出来なくなったら、他の物の原料や材料にしたりする。
おばあちゃんの知恵袋ではないけれど、そういう知恵は昔からたくさんあった。
知恵があったのに、「金で物を買う」ことでそれを学ばないで育った人が多い。
「もったいない」 という概念は、大量消費は良くないということを教えてくれますが、大量消費がいけないなら大量生産もいけないわけです。でも、今の経済は消費を生産が主導しています(それをさらに金融が主導している)。どうやって買わせるかばかり考えてる。どうやってたくさん金を使わせるかを考えているというの一緒です。カード会社がしきりにリボ払いを勧めるのも、どうやって買わせるか、どうやって金を使わせるかを考えているからです。
この「もったいない」という概念と真っ向から対立するのが今の金融資本主義、自由経済と呼ばれているものです。
これらの対立する概念を推し進める人たちの中には、例えば製薬会社を経営したり、遺伝子組み換え野菜や農薬を製造する会社を経営したり、戦闘機を製造したり、そんな人たちもいます。エネルギー、食料、医療、軍事など、すべての領域に関わっています。彼らには有無を言わせないぞという勢いすらあります。
原発も食料も個別の問題ではないですね。裏では繋がってます。
極言すれば金の問題ですよね。
換言すれば金で買えばいいと思っている我々自信の問題でもある。
乳酸菌やEM菌、有機農法や自然農法。
そういう有益あるいは有効とされるものを、1つの思想あるいは方向性で一体化しないといけないのではないかと思います。
その思想や方向性のヒントは金で買えばいいと思っている自分を変えることじゃないかと思うわけです。 幻想を捨てるということです。
乳酸菌がいいとか有機農法がいいとか、そういう論調を見るとバナナダイエットや納豆ダイエットみたいなブームを思い出してしまいます。
「これがいい!」に拘ると「これが悪い!」が必ず出てきます。鏡に映った自分の姿みたいなものです。
ある同じ物をいいと思う人と悪いと思う人がいます。そういう人たちの論争を見ると、どっちもどっちかなって思います。
いい悪いの区別のないところに本質があるんじゃないかと思うんですね。
どちらも本質から外れたところにある思い込みじゃないのかって。
いくら乳酸菌で放射能対策をしたところで原発はなくなりません。
わかりきっている事だと思いますが、わかっているのにそこから抜け出せないのは、やっぱり思い込みなんですよ。
思い込んでいる自分が正しいと信じている(あるいは信じようとしている)。
個別には正しいと思えることも、全体と一体化していないと破綻すると思います。本来一体なんだから。
いくつもの他のことも同時に、あるべき方向性に向って取り組まないと良い結果を生まないと思います。
「これがいい!」っていうのはとても窮屈で苦しそうに見えます。
死ぬまで問題解決しないで生きて行くんだから辛いですよ。「これがいい!」に頼ると不安はずっと消えない。
不安だから信じる、その結果として不安が続く。結構、こういうことしてる人は多いですよ。
放射能ではなく精神的ストレスが原因で病気になるんじゃないかって心配しています。
例えば自産自消という方向性でできることを片っ端からやってみる。
クレジットカードを使わないで済む生活に変えてみる。
「そんなに手間がかかるなら買った方が安い」みたいな考え方を少し止めてみる。
いろいろ考えられると思います。できることもたくさんあると思います。
方向性を決めていろいろやってみたらどうかと思います。





