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Opinion - 意見

テレビもネットも似たり寄ったり


いくらかネットの方がマシ、というか良くなる可能性があるとは思う。
でも、実態は大差ない。

ネットで拡散される情報はいい加減なものが多い。
これを直感的に気づいてる人が「ネットは信用できない」と言ってる。
「拡散される情報ほどいい加減」というパラドックスを見る。
いい加減な情報は尾ひれがつきやすいのです。
このいい加減な情報を、もっともらしく言う、それなりに影響力がある人が発すると、あっという間にそれが拡散していき、多くの人が認識を誤ったまま論を進めるようになる。
そして、それが個人の好みの問題に転換して、最後は好き嫌いの感情論になっていき、集団ヒステリーみたいな状況が出現する。

かといって、いきなり正確で正しい情報を発信することができるかと言えば、残念ながらそうではない。
認識を正しながら、強化しながら、論は修正されていく。
間違ってるものは、間違ってるという指摘をしなきゃいけないし、指摘を受け入れる心は捨ててはならない。

なぜ認識を誤るかということを書いてみます。
今日も徒然に。

まず言葉が悪い。
認識を誤る言葉がたくさんあります。
人間が言葉を使って思考する生き物である以上、言葉の意味を取り違えたり曖昧に把握すれば認識を誤って当然。これ道理でしょ?

例えば、日米同盟、拉致、いじめなどはその曖昧な言葉の典型。
日米同盟=実質は米の国防政策の一部に日本を組み入れて従属させる約束事。勝手なことはするなという約束。
拉致=誘拐監禁事件。
いじめ=度を過ぎれば暴行障害事件。
こういう言葉は、印象を植え付けて、なんとなく善悪を判断させてしまう元凶になったりする。
日米同盟を強固に!なんていうのは、今の状況では、実質的には米軍の属軍である自衛隊を私たちの税金を使って強化することになる、という認識ができてない。
いじめだって、曖昧な認識で話していれば、その範囲はどんどん拡大していって、些細なことでいじめだっていうことになる。

次に思考方法が悪い。
問題領域を直感的に認識して、その理由を論理的に証明していくような帰納法的思考法と、個々の事象を積み上げて問題領域を理解しようとする演繹的な思考法がある。通常はこれらを組み合わせて問題を把握して、解決策を見つけるものだけど、頭でっかちな人はついつい演繹的な思考に終始する。個々の事象に例外が発生したりすると、あっという間に破綻してしまう論理を構築しがちなのがこの演繹的な思考。その時点で確認しえない事象は考慮されないんだから当たり前。すべての事象を経験できるわけではないのだから、破綻するのは自明。頭でっかちがいけないというのはこのことです。
これ、コンピュータのソフトェアの設計をしているときにもよく直面する問題。
演繹的思考の精度を高めようとすると、膨大な計算量が必要になるロジックを書くハメになる。
帰納的思考をすると、アーキテクチャーをシンプルにして、構造に柔軟性を持たせようと努力することになる。

 

Twitterのタイムラインを見てると、まるでテレビのバラエティー番組を見ているような錯覚を覚えることがある。
いいことを言っている人がいても、それがあっという間に流されていって、いい加減な情報で埋め尽くされることもしばしばある。
簡単に情報が得られるネットですが、反面、自分の都合のいい情報を切り取って、深く読み込んだりしないし、じっくり考えることもしない。考えればわかるだけの頭脳はみんな持ってるのに。もったいない。

やっぱり大事なことを伝えるには、一人一人とじっくり話すことが大事だなって痛感する。
ネットはそのきっかけ作りに使うのがちょうどいいのかもしれない。
このエントリーもそのきっかけ。
批判されても共感されても、どっちでもいい。
ただのきっかけ。

機会があったら、もっと書き進んでみようと思います。
とりあえず今日はこんなところで。

補足

政治家の発言にもいい加減なものが多いね。
ほとんどが党利党略の政争論です。
有権者がこの政争論に巻き込まれて、敵味方を作って興奮している状況。
こういうのが一番危険だと思う。

それをうまく演出して、いかにも私は保守系の政治家ですよと偽装する人も多い。
最近、ビートたけしさんのTV番組に出てた方もそんな政治家の一人。
自分の願望や期待を政治家に投影して、それらしく映った人を支持してしまうという現象が起きてる。
期待通りの人ならそれでもいいけど「それらしい人に見える」というがいただけない。
よく観察すればわかるんだけど。
小泉純一郎氏が「構造改革」を叫び「自民党をぶっこわす」と言い、良識ある議員を追い出して、米従属路線を強固にして、靖国神社に詣でて支那を牽制して、みたいなこと。
あれを見て学ぶべきなのに、実際は学んでない人もいる。

屈辱な状況や歪んだ現実を追認して諦めるのは現実主義者ではないですね。
ただの現実逃避。
現実を認識するということは、屈辱的であること、歪んでいるということをはっきりと認識すること。
そこから、じゃあ次はどうする?っていう議論ができる。

kazz12211 について

Working as a OO programmer and enjoying music, bicycle and photography.

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