これもちょっと騙しが入っているような言葉だなって思います。
本質を表現するなら「制限貿易」という言葉を使うべきじゃないかって思います。
必要物資の自給体制があった上で、それに含まれないものは交易によって賄うということ。
もしお子さんがいて学校での社会の時間に「鎖国」について教わったら、「それは制限貿易って言って、食べ物や着るものは自分たちで作って、作れない物だけを輸入しいたり、余った物を輸出したりすること」くらいの感じで教えてやった方がいいと思います。
同意できるという人は、これからは「制限貿易」という言葉を使いましょう。
江戸時代は今より安定した社会だったんじゃないかなって思います。江戸は今で言う警察官がもの凄く少なかったというし、いろいろな文化が発展したし。そういうことっていうのは社会が安定していなければできません。
よく昔は良かった的なことをブログに書く人がいますが、どう良かったのか、なぜそれが良いのか、今はどうなのか、どうすればいいのか、などをよく考えてみる必要があると思います。
必要物資は自給して、それ以外を交易に頼るというのは、日本がもっと元気よくなるための鍵ではないかと思います。願わくば、そのような体制を各国、各民族に広げて行く。
石油、食料、水など、生きるために必要な物資は、地球上に万遍なく存在していません。偏在化しているという言い方をしますね。
これまでそれを取り合うということをやってきたわけです。 そのために戦争もしてきた。
欧米のほとんど国はそれだけではなく、人を奪う=奴隷という制度まで持っていた。白人はアジア人のような黄色人種やアフリカなどの肌の色の黒い人たちを、自分たちとは違う=人間ではない、ものとして扱ってきた時期が長く続いた。
エボニー アンド アイボリー♪ ポール・マッカートニーとスティービー・ワンダーが歌っていましたが、今では人種的偏見もだいぶ少なくなっているように思います。まだ多少はあるかな。
白人と黒人、あるいは白人とそれ以外の人種、のように分けて評価すること。そこに別の評価を加えて白人は優秀、それ以外の人種は劣等のような考えてしまうこと。
そういうものに人間は弱いようです。
何が善なのか悪なのかを、はっきり説明できないのに、善悪を判断してしまう。というか判断してしまうように仕向けられる、なんていうこともあります。
善とは何かを説明できないということは、善悪の評価軸なんて常にグラグラとするわけです。好き嫌いとか思い込みになったり、他者からの煽動によって変わったり。
そういうことが増えてくると、とても我が国で言うところの「和の精神」というものとはほど遠い社会になってしまいます。
逃れるコツがあります。
評価を先送りするんです。
すぐに評価しない。どうしても感情的になるから。
言い方が悪い、書き方が悪い、嫌いな人が言ってる、なんていうことで本質を見ないうちに評価してしまうことは防いだ方がいい。
評価を先送りして、一旦、受け止めてよく考える。
神武天皇の御詔敕に八紘爲宇というものがあります。
上則答乾靈授國之德、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而爲宇、不亦可乎。
(かみはあまつかみのくにをさづけたまひしみうつくしびにこたへ、しもはすめみまのただしきみちをやしなひたまひしみこころをひろめむ。しかうしてのちに、くにのうちをかねてみやこをひらき、あめのしたをおほひていへにせむこと、またよからずや。)
ここにはいくつもの都を覆って一つの家にする、というような事が書かれている訳ですが、融合とか和合とか、そういった概念があるのでしょう。
憲法十七條にもあの有名な「和なるを以て貴し」なんていう言葉が出てきますし、大和民族、戦艦大和など、「和」という言葉が使われることが多いです。
この「和の精神」は我が国の国柄に結びついていると思うんですね。
神武天皇の御神敕を真正面から受け止めれば、吾等は和を以て尊しとし、和を広めて行くのである。「大きな和」を希求する人々である。そういう使命みたいなものも、もしかしたらあるのかもしれません。
そういう考え方からすると、白人黒人を分けるとかっていうのは対局の思考だと思います。
この八紘爲宇の思想というか精神というか。これと制限貿易は関係があります。
制限貿易(必要物資の自給と余剰品の交易)で社会を安定させる、この場合の社会はとりあえず国としましょう。
他の国にもこの思想を広めて、他の国も安定するようにする。日本は海中の藻から石油を作る技術があったり、優れた農業技術、治水技術なんかもありますから、そういった技術を提供して行けば、「必要物資を自給する」という体制は作り易い。そういうことをやっていくのに一番近いところにいるのが日本ではないかと思います。
いきなり国という大きな単位でやるのは難しいから、都道府県、市区町村、家庭とできる範囲で取り組めばいいでしょう。
これは生活のフレームワークを変えてしまおうという話です。
今は金融資本(銀行屋)が世界をコントロールしようとしています。戦争を仕掛けることもあれば、食料の相場を操作することもあります。政治的なイデオロギーなどを越えたところで、政治がコントロールされます。イデオロギー対立なんかやってる場合ではないんでしょうけど、彼らはメディアを支配してそういう対立を作り出す事もします。
自由貿易という、「自由」なんていう言葉を使ってるからなんとなく良さそうなものも、実体は商品取引が発散しただけのもの。なんでも金で買う。どこからでも買う。そういうものです。銀行屋の仲間が独占するものもありますね。自由という言葉で出てくると胡散臭いものばかりです。
一つの物を作るのにも、長く複雑な工程に分業化されています。一時期IT業界でも、トレーサビリティーを上げようなんていう試みからICタグを使ったシステムの研究開発が盛んでしたが、これは無理です。今日食べたハンバーガーの原料、使った農薬、製法、誰がその製造に携わったか、複雑多岐でわけがわかりません。
金融資本主義も自由貿易も国際分業も、うまく行っているときは便利ですが、天災、戦争や紛争、政治的意図によって機能不全を起こしたら、予想しきれないリスクが発生します。こういうのを安定した社会とは呼べないでしょう。
なのに、政治家も官僚も今までのフレームワークの上で考えようとする。せっかく日本にはお手本となる思想や知と技の蓄積があるのに、そこから学ばずに戦後に作られたフレームワークの上で考えようとする。お金の分配、分け前の調整に躍起になってる。
そんな人たちが当てになりますか?
安定した社会で衣食住に困らなくて、文化が発達して笑顔が絶えない。そんな人々、国々が和合した社会。そういうものを望む人は多いと思うんですが、これを読んでいるみなさんはどうでしょうか?
今日明日にすべてが変わるわけではありませんが、今日明日にでもできることがある筈です。