■維新の会、国歌斉唱時の教員起立義務づけ案検討
(読売新聞 – 05月14日 12:53)
日頃、日教組とか反日勢力とかの話題で、キリキリ腹を立てている人は喜ぶかもしれないけれど、こういうのを見ると思うことがあります。
法律で○○するを義務づけることにする!
パチパチパチパチ!
って喜んでると、「法律で○○することの義務」を廃止するという反撃も可能になるということ。
国旗国歌法なんていうおかしな法律が何年か前にできました。
「日の丸の日本の国旗とする」
「君が代を日本の国歌とする」
これはおかしいでしょ?
まるでそれまで国旗国歌じゃなかったかのような日本語。
正しくはは
「日の丸は日本の国旗である」
「君が代は日本の国歌である」
です。
誰がなんと言おうと、日の丸は日本の国旗でしょ?
なぜそれをわざわざ「国旗とする」と書く?
「国旗である」もいらないのかもしれない。
「~~とする」とか「○○を義務づける」というような法律は創設的な意味合いがある。それまではそうじゃなかったけど、新たにそうするよと言ってる。
こういうことをやり始めると、そのうち「日本語は日本の公用語である」ということをわざわざ書いて、それを「英語が公用語である」に書き直されるという危険が出るかもしれない。
そうやって壊れていくんです。
政争は常にあるわけだし、思想の違いも常にあるから、こういうところが攻撃対象になる。
一度、ひっくり返されたら、他も狙われて、とんでもない法律や制度がどんどん作られる。
変わってはいけないものは、わざわざ明文化してはいけない。
今生きてる人間が、それぞれの状況で、何かを決めて、それが正しいと思い込み、気がついたら、おかしな方向に向かう。
善かれと思ってやったことが仇になる。
そういうことはままあります。
気をつけた方がいいと思う。
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